散策案内

龍門の瀧

龍門瀑ともいわれ、鯉が滝を登りきって竜となったという登竜門伝説に基づく滝の一形式です。尾張家江戸下屋敷跡地にあった滝の石を使用し、徳川園に再現しました。

寛文9年(1669年)二代藩主光友の頃に造営が始まった尾張家江戸下屋敷(戸山屋敷)では、当代随一と言われた庭園を有し、園内には「鳴鳳渓」と呼ばれた渓谷を構成する龍門の瀧がありました。鳴鳳渓は、渓流の飛石の上を渡りきると急に龍門の瀧から落ちる水が増して石が水中に没するという趣向が凝らされたもので、当時園遊会に招かれた将軍や諸大名は、大変驚き、また、喜び楽しんだと言われています。

戸山屋敷は現在の東京都新宿区の戸山町辺りで、今では面影を残す場所も数少なくなりましたが、平成10年(1998年)に早稲田大学の敷地内で江戸時代の大規模な石組みが見つかりました。早稲田大学と新宿区教育委員会による発掘調査の結果、戸山屋敷にあった龍門の瀧の遺構であることが確認されました。発掘された石材は、伊豆石と呼ばれる安山岩で、総数約360個、総重量約250tに上り、江戸城築城の余り石と推定されています。徳川園では、早稲田大学から譲り受けたこれらの石材を滝の布落ちや護岸、河床、飛石などに用いるとともに、水量を急激に増す仕掛けを取り入れて、戸山屋敷の龍門の瀧を蘇らせました。